今回はイラスト付きでわかりやすく、大政奉還についてを説明します。江戸時代から明治時代に変わるところで、とても大切なのが大政奉還ですね。
大政奉還を簡単説明。大政奉還が起きた歴史的な理由。大名の不満が溜まっていた。

大政奉還の意味は、徳川慶喜将軍が、政権を朝廷(天皇)返すことを宣言したことなのですが、これはあとで詳しく説明するので、
まず、先に、大政奉還が起きた理由を説明します。

江戸時代の前から、お金を持った偉い武士である大名はたくさんいたのですが、その大名は、徳川将軍家に参勤交代をしなきゃいけなかったりして、今みたいに電車もないので、徳川家に従うためには非常にお金がかかって、不満が溜まっていました。

そこに、1853年、ペリーの乗った黒船が、鎖国している日本にきます。
そしてペリーや、ハリスと、日本には不利な外交の条約を、幕府側の人間が結んでしまったことで、
大名や武士の中で、
もう、あんまり江戸幕府は当てにならない。
幕府よりも、やっぱり天皇の方が良いのでは??
という不満がますます溜まっていきました。
大政奉還になった理由。大きな戦になる前に、徳川慶喜が政権を朝廷に返した。
大名や武士や不満を大きくするとどうなるか。。。というと、大きな戦が起きてしまう可能性があります。
それを避けようと考えた徳川家最後の将軍である15代将軍、徳川慶喜(よしのぶ)は、

もう、将軍よりも天皇が良いのでは?と思う武士と、
まだまだ将軍が良い武士との間で大きな戦が起きないように、
それまでは事実上、将軍家が持っていた政権を朝廷(天皇)に返しました。
これが大政奉還です。
大政 政をする権利を、
奉還 お返しします。
という意味が込められています。
大政奉還の意味。政治をする権力を天皇の朝廷側にお返しする。それを二条城で宣言した。
1867年の京都、二条城にて、徳川慶喜が、政治をする権力を天皇の朝廷側にお返しする、大政奉還を行いました。

そして、徳川慶喜は
政権が朝廷に移ったので、これからは天皇に誓うとしました
今回の内容をYouTubeでみるときはこちらです。
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