応仁の乱をかんたん説明。応仁の乱の登場人物や、戦国時代との関係も。

勉強
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今回は応仁の乱を小学生や中学生向けにかんたんに説明していきます。

これさえ覚えれば、テストとも受験も大丈夫です。

応仁の乱を簡単説明。応仁の乱の人物紹介。

応仁の乱の主要な関係者がこちら。

まずは上の足利義政。銀閣寺を建てたことでも有名な、室町幕府の8代将軍なのですが、

この足利義政は、政治には、興味がなく、足利義政の弟に、つぎの将軍になれば?と勧めてしまうのです。

弟の足利義視は政治や将軍に興味があったのですが、、

そのあとに、足利義政に男の子のこどもが生まれます。

なので、奥さんから、こどもを将軍にしたい。と言われたんですが、

ここで、政治に興味のない兄であり父である足利義政は、家族の説得をしなかったんですね。

これが応仁の乱の原因。大変なことになるのです。

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全国の武将や大名が西軍と東軍に分かれて戦ってしまう。室町時代、10年間の応仁の乱。

足利義政が家族の説得をしなかった結果、、

奥さんと、弟の足利義視が、つぎの将軍の座をあらそい戦います。

それに協力したのが、、、

なんと、全国の武将。

この室町時代、戦える武士、武将、大名がたくさんいたんです。

そして、その武将たちが、

弟の足利義視の味方は、細川家を中心に東軍。

息子の義尚には山名家中心に西軍。

全国の武将が、つぎの将軍争いに、西軍と東軍に分かれて戦い、

応仁の乱がいつからいつまでつづいたか、というと、1467年から1477年。10年続きました。

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応仁の乱は1477年に終わったが、室町幕府の勢いは落ちて、戦国時代へ。

応仁の乱、勝ったのは東軍である、弟の足利義視、、なのですが、

全国の武将はかなり疲弊し、室町幕府と各地の武将の信頼関係もゆらぎました。

その結果、応仁の乱が終わったのは1477年ですし、室町時代もあと100年。1573年まで続きますし、室町時代最後の将軍は室町幕府15代将軍なので、まだ室町時代の歴史は続くものの、

全国の武将同士が争いあう、戦国時代に突入することになりました。

戦国時代は、応仁の乱で東軍と西軍に分かれ、全国の武将が戦ったことにより

応仁の乱がはじまった1467年が戦国時代の始まりの年。そこから戦国時代は1615年まで続きます。

戦国時代の終わりの1615年は、江戸時代ですが、豊臣家側と江戸幕府側の戦いである大阪夏の陣の年。

全国で争いが起きる、長い戦国時代の幕開けは、応仁の乱だったのです。

といえこたで、今回は、応仁の乱について分かりやすく説明しました。

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