今回は、小学校や中学校の教科書で、聖徳太子の名前がいつから、厩戸王や、厩戸皇子と書かれるようになったかを説明します。
聖徳太子が厩戸皇子とかかれるようになったのは2000年ごろから。
聖徳太子が厩戸皇子と教科書にかかれるようになったのは、2000年ごろからです。
小学校の歴史の教科書、
中学校の歴史の教科書、高校の教科書、合わせて、高校受験のテキストなども、2000年ごろから、厩戸皇子とかかれるようになりました。
今の子は聖徳太子を知らない?聖徳太子(厩戸皇子)とかかれるので、通じる
聖徳太子と書かなくなった今、聖徳太子は、令和の学生に通じるのか。と言うと、普通に、聖徳太子で通じます。
教科書などには、
聖徳太子(厩戸皇子)とかかれることが多く、
まだまだ、聖徳太子とだけ書いてある教科書もあるからです。
聖徳太子、厩戸王、厩戸皇子、全て同一人物。
聖徳太子も、厩戸王も、厩戸皇子も同一人物になっています。
歴史的に、文献から、飛鳥時代に存在していたのは、厩戸王、厩戸皇子(同一人物)と言うことがわかりました。
聖徳太子は、聖徳太子の凄さから、聖徳太子が亡くなってから付けられた尊敬を込めた名前であり、実際の聖徳太子は、厩戸王、厩戸皇子として、飛鳥時代を生きていたわけです。
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