今回はテストにもよく出る、江戸時代の王政復古の大号令をわかりやすく説明していきます。
王政復古の大号令が起きた理由も説明。

この人、西郷隆盛が大活躍するのが、この王政復古の大号令です。
王政復古の大号令が起きた理由。大政奉還と王政復古の大号令は同じ1867年。
王政復古の大号令ですが、江戸時代の終わりの方の年である、1867年に起きました。
この年は、大政奉還と王政復古の大号令が起きています。

大政奉還の後で、王政復古の大号令が起きたことが、大切な歴史の流れになるので、そこから説明していきます。
大政奉還の事実上の失敗。政権が朝廷に戻らない。
1867年に二条城でした大政奉還で、将軍、徳川慶喜は、政権を朝廷(天皇側)に返す。と宣言した。

大政奉還で、政権を返すとは言ったのですが、、、

実は、まだ権力が欲しかった慶喜は、天皇の下で、自分も政治をして、幕府の力もそこそこ持ち続けようとします。
西郷隆盛、岩倉具視などが、政権は朝廷に返すべきだ。と言う
けど、そんなんじゃ、大政奉還で、政治の政権を朝廷にお返しする。と言ったのに、全然、意味がないですよね。

そこで、西郷隆盛や、岩倉具視が、政権はやはり、朝廷に返すべきだ。といいます。
1867年将軍じゃなく、西郷隆盛などが王政復古の大号令をした。
王政復古の大号令は誰がしたか。がポイントです。
大政奉還は徳川慶喜将軍がしましたが、
それでも、天皇の下で政治をしようとしていたのが将軍なので、、、、

1867年の王政復古の大号令は、西郷隆盛や岩倉具視が行いました。
王政復古の大号令の内容は、
・政権を幕府から、天皇・朝廷に返すこと
・将軍辞任、幕府は廃止して、明治政府を作り、政治には議会を作ること。

宣言したのが天皇や将軍ではないですが、当時の岩倉具視は非常に力を持っていたので、これは実現します。
1867年の王政復古の大号令により、翌年1868年から明治時代が始まる。
1867年に西郷隆盛や岩倉具視が行った王政復古の大号令。これは非常に力がありました。

政権を朝廷に返すこと、
将軍職を辞めること
明治政府を誕生させること。
これらにより、明治新政府がはじまり、この翌年の1868年から明治時代が始まります。
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